2010年1月5日火曜日

市民への情報開示、NGOとの対話

コラム6

【ブレント・スパー事件】

 「ブレント・スパー」とは、1976年から1991年まで北海油田で使用された巨大な浮標(ブイ)のことである。北海油田で採掘された原油は、イギリスのシェットランド島までパイプラインで運ばれ、ここからタンカーで石油精製基地に輸送されていた。
 1991年から1993年にかけて、ブレント・スパーの処分方法に関する研究がロイヤル・ダッチ・シェル社(以下、「シェル」)と独立の外部機関等によって行われ、「深海投棄は陸上処理に比べてリスク、費用の面で少ないもので済む」との結論を得た。これを受けて、シェルは1994年12月に貿易産業省 (DTI)に深海投棄計画を提出した。1995年2月にイギリス政府は、シェルの計画を承認する決定を下し、EU及び他のEU加盟国にその旨を通報した。
4月30日にグリーンピースの活動家が「ブレント・スパーは石油や有害物質が残留したままの状態で投棄される」として深海投棄に反対し、これを占拠した。 5月23日に占拠は解除されたが、グリーンピースは欧州全土にシェル製品のボイコットを呼びかけた。その結果、ドイツでは深海投棄反対派がシェルのサービスステーションを襲撃したり、火焔ビンを投げる事態となった。さらに、同じ時期にカナダのハリファックスで行われていたサミットの場で、ドイツのコール首相(当時)がイギリスのメイジャー首相(同)に深海投棄を再考するよう申入れを行うまでに発展した。結局、6月20日にシェルは深海投棄計画中止を表明したが、その理由として、ヨーロッパの政治情勢が変化したこと、過激な反対活動によるリスクが増大したこと、より詳細な議論を行う必要性を感じたことを挙げている。
 その後、ブレント・スパーの処分方法に関するセミナーでの検討を経て、1998年1月にシェルはフェリー用の埠頭(基底部分)としてブレント・スパーを再利用することを決定した。1999年7月にノールウェーでの工事が完了し、9月にはロンドンで利害関係者等に対するセミナーが開かれ、詳細が報告された。
 この事件では、政府から承認を受けた計画に従って海上施設を処分しようとした企業が、NGOから不買運動の対象とされ、一般の消費者のみならず、他の EU加盟国からも投棄計画の再考を求められた結果、一度決定した計画を白紙に戻すことを余儀なくされた。こうしたことは、企業の環境対策のあり方、特に市民への情報開示、NGOとの対話について、欧州の産業界に少なからぬ影響を与えたものと考えられる。

《参考資料》
米本昌平(1996)「政治的パワーとしてのグリーンピース」(『海外事情』第44巻第1号、拓殖大学海外事情研究所)
ロイヤル・ダッチ・シェル社 ホームページ http://www.shell.com/uk-en/directory/
0,4010,25268,00.html
グリーンピース ホームページ http://www.greenpeace.org/

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