2010年1月3日日曜日

多くの「教育用」ゲームは「チョコレートで包んだブロッコリー」

チョコレートで包んだブロッコリー!?

 大学院入試関係最終日です。これが終われば・・・遊べる・・・ハズはなく・・・「たまった仕事」が待っているだけである・・・ひでぶっ。

 ---

 ところで、先日8月5日に開催された「ゲーム・ルネッサンスシンポジウム」のWebができました。

ゲーム・ルネッサンス シンポジウム
http://www.beatiii.jp/seminar/023.html

 ---

 再度記事を読み直して、藤本さんがおっしゃっていた指摘に笑ってしまった。

 多くの「教育用」ゲームは「チョコレートで包んだブロッコリー」

 その心は、たぶん、こういうことでしょう。

 表面を「甘いもの=キャラ」などでとりつくろっているので、子どもの食いつきはよいのだけれども、「食べ進めるにしたがって=学習を進めると」、「嫌いなブロッコリー=勉強」がでてくる。さらに、チョコとブロッコリーの食い合わせが悪くて、二度とトライしようとは思わなくなる。

 なかなか深いたとえですね。

 ---

 でもね、チョコでは困るんだけど、「ブロッコリーに対する下味」が全く必要ないか、というと、そうではないと思うんです。そこまで論理飛躍されると困る。

 「ブロッコリーはブロッコリーのまま食べさせればいいんだ!」

 というのは、教育コンテンツをつくったことのない人か、理論を下敷きにしてしかコンテンツを見られない人の発想ではないかと思うんです。アメリカのレストランじゃないんだから、そのままでどうする。

 現実は違います。ある程度、興味を持ってもらったり、学習内容をわかりやすくするためには、教育コンテンツには、ある種の「演出=下味」が必然的につきまとうのです。「演出」という言葉が嫌ならば、「文脈づくり」といってもいい。いずれにしても、ブロッコリーを「おいしく食べてもらう」ための、下味づくりがいるのですね。そこにクリエイティブの要素がでてきます。

 ブロッコリーをいかにおいしく自然に食べてもらうか。

 たとえば、黒胡椒を少しきかしたコンソメスープで煮るとかね、そういう微妙な下味でもいいのです。

「おいおい、つーか、ブロッコリーかよ。何?騙されたと思って食べてみろって? だいたい騙されんだよ、そういうときは。しゃーねーな・・・・おっ、ちょっと違った香りがするな・・・試しに食ってみるか。あれっ、これ、うまいじゃない。なんだろ、これは、いつものブロッコリーとは違う。もう一個食ってみるか、オレ、ブロッコリー食べられるんじゃねーの。食わず嫌いだったんじゃねーの。ありがとう、かあちゃん。」

 みたいな展開になるかもしれない。技巧をこらしてね、自然に自然に。ちょっと大人好みかな、この下味は。

 いずれにしても、言いたかったことは、教育コンテンツには下味が重要だよ、ということです。教育コンテンツをつくったことのある人にとっては、アタリマエのことですが、なにせ教育業界は極端に振れますので、一言だけ。

 ちなみに「はちみつをコーティングした納豆」とかはお断り。
 僕、納豆嫌い!

投稿者 jun :

0 件のコメント:

コメントを投稿