2010年1月6日水曜日

3.21世紀における対外経済政策の挑戦 国家の基本戦略を達成するプロセスの延長線上にあるというメッセージ

3.21世紀における対外経済政策の挑戦

 以下では、本節1.の部分で整理した外部環境の変化を踏まえた場合に、今後我が国が重層的な対外経済政策を推進することの狙いと、WTO、地域(APEC、東アジア、ASEM)、二国間という各フォーラムにおける我が国の取組みの現状と今後の課題について整理する。



(1) 重層的なフォーラム活用の狙い

 従来我が国は、WTOにおけるルール・メイキングを主軸に据えた対外経済政策を展開してきている。こうした方針を採用してきた背景には、20世紀初頭における保護貿易主義が第二次世界大戦勃発の1つのきっかけとなったという過去の経験を繰り返してはならないという考え方、また、天然資源に恵まれず、貿易に依存しなければ国家の存立が困難であるという宿命を背負った我が国にとって、安定した多国間での貿易秩序形成が最も重要であるという考え方が存在している。新世紀を迎えた現在に至っても、主に以下で述べる2つの理由から、我が国にとってのWTOの役割は依然として大きい。
 第一に、WTOのルールは、自由貿易を実現する上で不可欠な原理原則(注256)及び手続きを定めた唯一の多国間の取決めである。このことは、WTO加盟国の数が増加し、加盟国間の関心項目が多様化しつつある今日も変わらぬ事実である。世界大の自由化を目指す上で、仮に各国が二国間FTA/EPAの締結のみに頼る場合、世界全体で莫大な数のFTA/EPAを締結する必要があるのみならず、グローバルに活動している企業が世界中で一貫した貿易秩序の恩恵を享受できなくなるということは想像に難くない(第4―3―22図 )。
 第二に、従来我が国はWTOの紛争処理制度から多くの恩恵を享受してきた。パネルという形で第三者が関与し、中立的かつ明確な基準に従って手続きが進められるWTOの紛争解決手段は、いかなるFTA/EPAによっても代替され得ない。むしろWTOによる法の支配、紛争解決手段が機能するという前提が存在したからこそ、我が国はこれまで地域、二国間の安定的な貿易秩序を維持することが可能であったととらえるべきである。したがって、我が国が21世紀においても引き続き自由貿易の恩恵を広く享受していくためには、WTO協定の信頼性向上と履行の確保を通じて多角的な貿易秩序の維持拡大に努めていくことが必要条件となる。
 他方、閉塞状態にある日本経済を再活性化させるためには、国内市場と海外市場におけるビジネス環境を同時並行的に整備していくことが不可欠であり、我が国はこうした国家目標を見据えながら常に最適な対外経済政策を立案・実施していく必要がある。しかしながら、本節1.の部分で述べたようなWTOにおける交渉の機動性の低下、及び諸外国における戦略的なFTA締結の動き、という2つの大きな外部環境の変化に伴い、我が国がWTOという場のみに依存することは「日本経済の再活性化」という国家目標を確実かつ迅速に達成する上での必要十分条件ではなくなりつつある。むしろ、以下に示す5つの理由により、WTO のみならず地域あるいは二国間における各フォーラムを柔軟に活用しながら、対外経済政策を展開していく必要がある。

1)新たな通商ルールの迅速な策定
 第一の理由は、WTOルールにおいて秩序が形成されていない新たな通商問題に対応するための、迅速な制度構築の必要性である。例えば、前節で紹介したとおり、現在のところWTOにおいては電子商取引関連の国際的なルールが構築されていない。しかしながら、ビジネス・モデルや技術革新のスピードが速いこうした分野において機動的な制度構築がなされない場合、円滑な貿易投資活動や十分な消費者保護が阻害されるおそれがある。迅速なルール・メイキングが求められている分野については、官民で適切に役割を分担しつつ、国内の産業界や消費者のニーズに即した高度な通商関連ルールを、地域、二国間レベルにおいて補完することが求められている(注257)。

2)多角的自由化のモメンタムを維持する手段
 今日の地域及び二国間におけるFTA/EPA締結の動きは、世界的な自由化を否定するためのものではない。したがって、こうした動きを「20世紀初頭に起きた経済のブロック化の再来」ととらえるのではなく、むしろWTOと地域・二国間協定の締結が互いに刺激を与え合う結果、世界的な貿易自由化が促進されるという、相互補完的な役割を果たすものとしてとらえる必要がある。歴史的にも、EC設立に向けた動きがGATTのケネディ・ラウンドや東京ラウンドにおける米国の交渉イニシアティブを促し、NAFTA設立の動向がGATTウルグァイ・ラウンド交渉を加速させたという経緯がある(注258)。また先般のAPEC閣僚・首脳会議において見られたように、地域的な協力関係を強化していくことは、多角的自由化交渉の開始に向けた建設的な環境作りを行い、政治的な確認・宣言を行う上でも有効であろう。

3)国際的な制度構築の経験の蓄積と多角的通商ルールへのフィードバック
 第三に、地域及び二国間において高度な通商ルールを策定する過程で得られるノウハウや経験は、将来の通商交渉において活かすことができる。例えばこうしたノウハウや経験は、多国間でルール・メイキングを行う際に、諸外国の合意を形成する段階において知的貢献を行い得る。また、国際的な交渉やルール・メイキングについて我が国が経験を積むことは、将来の他の交渉において我が国が主導権を取りながら交渉を迅速に進め、我が国発のルールを積極的に発信していくことを可能とするであろう。同時に、二国間や地域における通商ルールを策定することで、地域内における協力関係強化を図ることにより、多国間交渉の場において当該地域や当該国間で協調的な交渉行動を行うことが可能となり、ひいては地域ごとの特性が適切に踏まえられたバランスの取れた国際貿易秩序を形成することが可能となる。

4)FTA/EPAを締結しないことによる不利益の回避
 第四の理由は、FTA/EPAを締結していないことにより我が国産業が被っている実害を除去する必要性である。例えば、メキシコはNAFTAの加盟国であるほか、EU、EFTAとの間でもFTAを締結している(前掲第4―3―3表)。この結果、我が国企業がメキシコに対して輸出を行う場合(注259)、メキシコが既にFTAを締結している国と比較して高い関税が賦課されており、ビジネス上の不利益(注260)を強いられている(第4―3―23表 )。
 このような状況の中、我が国産業界からもNAFTA及びEU域内の競合企業とコスト面での平等な競争条件を確保するために、メキシコとのFTAを締結すべきとの要望が出されている(注261)。またメキシコ以外にも、イスラエル及びジョルダンは既に米国及びEUとの間でFTA等を締結しているほか、その他5か国が米国及びEUとのFTA締結に向けて交渉中である。このように、主要国の中で我が国だけFTA/EPAを締結しないということは、我が国企業がコスト面で競争上の不利益を被る可能性のある外国市場が拡大していくことを意味する(第4―3―24表 )。

5)国内構造改革の促進剤
 第五の理由は、我が国が構造改革を早期に実現させる上での必要性である。EPAや投資協定等の締結に伴う域内障壁の撤廃は、各国の資本や経営者、先進的な技術やノウハウの日本への流入をもたらし、競争促進に伴う国内企業の自己革新努力により、国内経済の活性化を促すことが期待される(注262)。同時に、こうした協定締結へ向けた研究及び交渉を通じて相手国の先進的な制度に触発され、国内の遅れた分野の制度改革が促進される効果も期待される。
 ただし、国内構造改革を促進するためにはこうした協定を締結するだけでは不十分であり、対外政策の方向性と整合性の取れた国内経済政策を同時並行的に推進することが必要となる(第4章第1節参照)。例えば第1節のコラム9において紹介したとおり、シンガポール政府は21世紀の明確な基本戦略(注263)を公表しているが、各国とのFTA締結についても一過性のものではなく、あくまで国家の基本戦略を達成するプロセスの延長線上にあるというメッセージを、各種発言や実際の行動を通じてマーケットに対し明示的・暗示的に常に発信し続けている。このような政策の方向性に関する一貫性と実績は、マーケットからの高い評価や信頼を獲得するとともに、投資家にとっての各種不確実性を減少させるという意味において、協定の動態的効果を最大化する上でも極めて有益であろう。

第4―3―22図 世界大の自由化を達成するために必要な協定の数
第4―3―23表 メキシコにおける主要品目の関税率
第4―3―24表 米国・EU双方とFTA等を締結している国

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