2010年1月5日火曜日

水際措置の撤廃・自由化を中心とするもの

(2) 第二次世界大戦から1980年代以前の趨勢~貿易自由化を中心とした水際でのルール・メイキング>

 第二次世界大戦以降、国際社会の趨勢は、GATT/IMF体制に代表されるように、一貫してモノ、カネの移動の自由を保障する制度の確立へと向かった(注162)。経済活動の活発化に伴い、モノ、カネの流れだけではなく人、情報の流れも必然的に増大する中で、これらの流れを調整するための国際的秩序が徐々に形成されてきた。
 1945年に、国際間の通貨協力を促進し国際貿易の拡大均衡を図る目的でIMFが設けられた。1948年には「関税及び貿易に関する一般協定」の成立によりGATTが発足し、1952年には各国の関税制度の調和化、簡易化と関税行政の国際協力を推進する関税協力理事会(CCC:Customs Co-operation Council)が設立された(注163)。
 GATTにおいては、発足以降5回の関税引下げ交渉を通じて、累計約66,000品目の関税引下げが行われた(注164)。先進国における鉱工業品の平均関税率は、1940年代には約40%だったものが、1950年代には約25%、1960年代には20%弱へと順調に引き下げられた(注165)。関税率の引下げが進むにつれ、自由化の対象は非関税障壁にも広がり、東京ラウンド(1973~1979年)では、補助金・相殺措置協定、政府調達協定等、非関税措置に関して10本もの協定が締結された。
 日本においても同様に、1960年代から1970年代にかけて、GATTの関税一括引下げの動きと軌を一にしながら、輸入数量規制から関税への移行、関税率水準の引下げから撤廃、非関税障壁の撤廃等、急速な貿易自由化を進めた。この結果、関税負担率(対有税品輸入額)は1960年代後半以降、1970年代にかけて約20%から約5%へと大幅に低下した(第4―2―1図 )。さらに、1970年代には、対外投資、対内投資等の国際的な資本移動を厳しく制限してきた為替管理に関しても急速に自由化を進めた(注166)。
 情報の交流に関しても、19世紀の欧州を中心として発展した特許権条約、著作権条約が発展する形で1970年には世界知的所有権機関 (WIPO:World Intellectual Property Organization)が設立され、19世紀からルール・メイキングが行われていた分野についても、更にその内容を高度化させている。
 しかしながら、総じて言えば、この期間における制度構築は、モノ、カネに関する関税・為替管理といった水際措置の撤廃・自由化を中心とするものであった。

第4―2―1図 日本における貿易自由化の流れと関税負担率の推移

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