(2) 既存の地域統合に関する実証分析
次に、既存の地域統合の経済効果を実証面の分析から見てみる。理論面の分析で指摘された数多くの経済効果の有無や大きさは、各統合地域の経済条件に応じて異なる。また、各FTAには地域の実状を反映した期待や懸念も数多く伴っていたと考えられる。したがって、地域統合の効果をより綿密に論じるためには、各国各地域の特性を十分に勘案しなくてはならない。特に、発展段階の異なる先進国と途上国との間の地域統合と、発展段階が似通った先進国間(あるいは途上国間)の地域統合では、統合に対する期待や懸念、あるいは実際の効果も大きく異なると考えられる。先進国と途上国の双方を含む地域統合の代表はNAFTA であり、先進国同士の経済統合の代表はEUである。以下ではそれら2つの統合地域に関して、統合以前に指摘されていた期待・懸念及び経済効果の予測に関する実証分析を整理するとともに、現実の経済指標を見ることにより経済効果の事後的評価を行う。EUに関しては、1992年の市場統合に焦点を絞ることとする。
1)NAFTA
(期待と懸念)
1991年に交渉が始まり1994年に発効した北米自由貿易協定(NAFTA)は、先進国(米国・カナダ)と途上国(メキシコ)の双方が含まれ、所得水準や賃金水準・生産要素の利用可能性といった経済諸条件の異なる国同士の経済統合である。異なった発展段階にある国同士の経済統合は、技術水準や生産要素利用可能性の格差により、比較優位に沿った生産特化を促進し、域内貿易の拡大を通じて域内の資源配分の効率化をもたらす。また、生産要素の移動を通じて要素価格の差の縮小が実現することも予想される。
NAFTAに対する期待としては、1)米国及びカナダとメキシコとの間の賃金格差の縮小とそれによる米国への不法移民数減少、2)経済統合がメキシコの政治的安定や経済改革を押し進めることを通じたメキシコ市場の不確実性の減少、3)その結果としての対メキシコ直接投資の促進と、それによる同国の経済発展等が指摘されていた(注247)。
一方、懸念としては、例えば相対的に労働力(非熟練)が豊富であるメキシコとの間の貿易拡大が北米地域における生産調整をもたらし、1)米国及びカナダの非熟練労働者の失業増加及び賃金低下、2)労働及び環境基準が緩いメキシコへの生産移転による、同国における労働環境の悪化及び環境破壊の進展等の指摘がなされていた。
(NAFTAの効果に関する実証分析のサーベイ)
上記に示した様々な期待や懸念の信憑性を図るために、これまでNAFTAの効果については多くの定量的な試算がなされてきた(第4―3―16表 )。
NAFTAの効果に関する試算の前提としては、関税障壁の除去のみを考慮したものから、投資の自由化や資本蓄積までを考慮したものまで様々なものが存在する。以下では、それら試算の前提の違いを考慮しつつ、代表的な経済指標について分析の結果を見ていくことにする。
まず、NAFTA締結が実質所得に与える影響を見ると、米国・カナダ・メキシコすべてにおいてプラスの結果が算出されており、特にメキシコへの影響が大きいという結果が多い点が注目される。これは、NAFTA以前に既に米加FTAが結ばれており、自由化の影響はメキシコにおいて相対的に大きいこと、あるいは経済規模の小さい国ほどFTAの利益をより強く享受できること等が関係していると思われる。また、分析の前提として関税障壁のみならず非関税障壁の撤廃も含める場合、投資自由化によりメキシコへの直接投資が促進されるという動態的な側面を考慮した場合には、より大きな効果が生ずるとの試算結果が得られていることから、非関税障壁除去や投資が果たす役割の大きさを示唆している(第4―3―8表 )。
貿易パターンの変化に関しては、多くの場合NAFTA域内の貿易については拡大するとの試算結果が認められた一方、域外との貿易に関しては拡大・縮小という両者の結果に二分されている(注248)。しかしながら、域外に対する貿易量の変化は相対的に小さいことから、貿易転換効果が存在したとしてもごく僅かであったことが示唆される。
要素価格の変化に関しては、メキシコと米国・カナダ間の賃金格差の縮小がもたらされるものの、規模の経済等による生産性上昇によりNAFTA各国とも絶対値で見ると賃金は上昇している。さらに、雇用量は各国とも上昇するため、メキシコとの貿易による先進国における雇用不安・賃金下落はもたらされないとの試算結果が示されている。
(経済効果の事後評価(注249))
まず実質GDPの変化について、NAFTA各国の実質GDPの推移を見ると、メキシコが通貨危機に陥り一時的に成長率を大きく下げたものの、1990年代に入り堅調な増加を見せていることから、
NAFTAがプラスの影響をもたらした可能性がある。さらに、1982年の通貨危機と比較して、1995年の通貨危機発生時にメキシコ経済の回復が早かったことも、NAFTAのプラスの影響が働いていた可能性を示している(第4―3―9図 )(注250)。
貿易パターンに関しては、域内貿易と域外貿易の割合とその平均増加率を比較すると、1985年から1990年までは域外貿易の平均増加率が域内貿易を上回っていたのに対し、1990年代は逆に域内貿易の増加率が上回っている。その結果、1990年から1999年にかけて域内貿易比率は41.4%から 53.9%へと大きく増加している(第4―3―10表 )。また1985年から1997年におけるNAFTA各国間の貿易シェアの変化を見ると、米加間、加墨間の輸出・輸入シェアはほとんど変化していない一方で、米墨間の貿易については非常に大きな上昇が見られる(第4―3―11表 )。
直接投資に関しては、世界全体の直接投資受入額に占めるNAFTA諸国の受入額の割合は、1990年以降に堅調に増加していることから、直接投資ホスト地域としてのNAFTAの重要度が高まっていることを示している(第4―3―12表 )。また、米国の対メキシコ投資は、1995年の通貨危機により一時的に減少したものの、投資金額及び対世界シェアともに1994年のNAFTA発効以降に堅調な増加を見せている(第4―3―13図 )。
最後に、雇用量と賃金に関しては、1)NAFTA締結により職を失った労働者に対する援助プログラム(注251)の利用者は、同時期の全米におけるレイオフの数の0.01%以下と非常に小さかったこと(注252)NAFTA発効以降各国の失業率が趨勢的に減少していること(第4―3―14表 )、3)米国・カナダの実質賃金がほとんど変化していないことから、メキシコとの貿易増大が全体で見て米国・カナダの労働者に深刻な影響を与えたとは言えないであろう。なお、メキシコの実質賃金はNAFTA発効後低下しているが、通貨危機による影響を割り引いて考えなければならないことに注意が必要である (第4―3―15図 )。
2)EU
(期待と懸念)
1987年の単一欧州議定書の発効により、欧州では1992年末までに域内単一市場を形成するプログラムが実施に移され、この結果関税同盟 (Customs Union)であったECは共同市場(Common Market)へと発展し、その後経済同盟(Economic Union)へと統合を深化させてきた。域内国の発展段階が非対称的なNAFTAに対して、EUは発展段階が比較的近い先進国によって構成されており、域内貿易の多くが産業間貿易ではなく産業内貿易であるという特徴を有している。また、まだ歴史の浅いNAFTAと比較した場合、EUの歴史は1957年の EEC(欧州経済共同体)にまでさかのぼることができ、関税・非関税障壁削減による資源配分の効率化と域内貿易の拡大についてはその長いプロセスを通じて既に進展していたと思われる。したがって、1992年市場統合の経済効果に関しては「静態的効果」よりも、市場拡大による規模の経済の増大や競争促進といった「動態的効果」に強い期待がもたれていた(注253)。 逆にEFTA諸国、米国等の域外国は「欧州の要塞化(Fortress Europe)」を懸念し、統合によるEU企業の競争力の増大や、域外国への投資が減少するといった投資転換効果が懸念されていた(注254)。
(EUの効果に関する実証分析のサーベイ)
上記の特徴を反映し、EUに関する多くの経済効果の試算は規模の経済と競争促進効果の双方をモデルに組み込んだ形で行われている(第4―3―21表 )。多くの試算結果が市場統合によりEU域内の実質所得が増大することを示している一方、域外諸国、特にEFTA諸国の実質所得が減少するとの試算結果も得られている。また試算結果においては、企業の参入・退出の自由化を通じた競争促進や、市場統合による規模の経済を考慮した場合に、域内外における実質所得への影響が大きいことが示されている。
また、資本の蓄積をモデルに取り込んだ場合、EUの市場統合により域内投資が活発化する(投資創造効果)とともに、域外、特にEFTA諸国に対する投資が減少するために(投資転換効果)、実質所得に対する影響がより大きくなる傾向にある(第4―3―17表 )。しかし、試算結果における域外国の実質所得の減少幅自体はさほど大きくないことから、「欧州の要塞化」によるコストはさほど大きくないという可能性が示されている。
(経済効果の事後評価)
1992年市場統合が実質GDPへ与えた影響を分析したものとしては、EU経済が1975年から1987年までのトレンドで成長し続けた場合の1993年の実質
GDP推計値と、実際の値を比較することにより、統合の効果を間接的に分析した欧州委員会の研究が挙げられる(注255)。この分析結果によれば、従来のトレンドと比較して1993年の経済成長率が1.1%大きくなっていること、また日本と米国についてはトレンドとの乖離幅がそれぞれ約プラス0.2%、マイナス2.0%であったことから、統合が域内の実質所得を上昇させた可能性があると結論づけている。
貿易の変化に関しては、1985年から1990年までの間で域内貿易比率が7.5%上昇したものの、1990年代は域外との貿易が相対的に増大している(第4―3―18表 )。理由としては、域内貿易は1980年代後半に活発化したため、むしろ1990年代は域内の所得増加による域外からの輸入の増加と、域内の生産量増加による域外への輸出増により、域外貿易が相対的に増大したと推測される。
EUに対する直接投資に関しては、1987年の単一欧州議定書発効から1990年にかけて大幅に増加した後、近年更に大きな上昇を見せている(第4―3―19図 )。また世界全体の直接投資受入額に占めるEUの割合は1987年から1990年にかけて増加したものの、全世界的に直接投資が大きく増加した1990年代以降は減少傾向にある。一方、EFTA諸国に対する直接投資は趨勢的に上昇しているが、世界全体の受入れに対する割合は1990年代前半に大きく低下していることから、投資転換効果が生じていた可能性が示唆されている(第4―3―19図 )。
最後に競争促進効果について検証する。EUにおいて期待されていた競争促進が達成された場合、域内同一品目の価格格差が縮小すると考えられる。欧州委員会による報告書は、価格格差を平均からの標準偏差で測ることによりその効果を検証している。分析においては、エネルギー、建設部門においては価格差が拡大している一方で、越境取引が盛んな消費財部門、設備品部門、及びサービス部門における価格格差は縮小しており、1992年市場統合による競争促進効果の存在が指摘されている(第4―3―20図 )。
第4―3―8表 NAFTA締結が域内国の実質所得に与える影響の試算
第4―3―9図 NAFTA各国の実質経済成長率の推移
第4―3―10表 NAFTAの域内・域外貿易
第4―3―11表 NAFTA各国間の貿易シェアの変化
第4―3―12表 世界全体の直接投資受入額に占めるNAFTA諸国のシェアの推移
第4―3―13図 米国の対メキシコ直接投資の推移
第4―3―14表 NAFTA諸国における失業率の推移
第4―3―15図 NAFTA諸国における実質賃金の推移
第4―3―16表 NAFTA締結の効果に関する主な実証分析
第4―3―17表 1992年市場統合が実質所得に与える影響の試算
第4―3―18表 EUの域内・域外貿易
第4―3―19図 EU及びEFTAの直接投資受入の推移
第4―3―20図 EU域内の価格格差の推移
第4―3―21表 1992年の市場統合の効果に関する主な実証分析
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