2010年2月4日木曜日

M資金 GHQ時代の ESS(エコノミック&サイエンティフィック・セクション=経済科学局)の二代目局長はウィリアム・F・マーカットであり、そのイニシャルが資金名とされている。

裏面史の群像

論談特別記事 それは架空現実なのか、実在しているのか?

M資金と呼ばれるものの正体

その活断層の一角を展望する

-論談秘匿資料の一部からの洞察


 一部消息通を除く多くの国民が、その名前に接したのは 1954年2月2日の衆院法務委員会という見方がある。
 自由党代議士鈴木仙八氏が法務大臣に鉄道会館や造船業界を対象にマーカット資金なるものの導入が意図され、同資金は日本円に換算、凡そ 800億円と、事実関係の有無を質したのがそれである。
 法相は報告なし、と答弁し、具体的発言は一切回避している。マーカット資金=M資金と定義すれば、国政レベルでこの名の登場の最初と言える。
 これまで関係者間だけの秘匿名が大衆レベルに広知されたとしても、占領初期から 9年平和条約の独立後からでも既に 4年も経過していた。

 前記時点の 800億円は、現在兆単位巨額といえるが、96年末現在で公表の日本対外純資産 103兆円という計数と比べると、M資金の核が形成され始めた当時の日本の実情が想起される。
 当時、国際決議に不可欠な BISや IMF等の加盟どころか、外貨の獲得もままならず石橋蔵相の如きは、占領軍維持費だけで五百億円に達し、日本財政は崩壊の危機にある、と叫んでいたのである。
 まして一般人にとってM資金は無縁だったはずだ。それが急速に国民レベルで関心が盛り上がったのは、この名を冠した大がかりな詐欺事件が続発し、報道するマスコミの多彩な事件内容に触発されたからに他ならない。

 その後問題化した全日空事件も、国政レベルに登場した一つだ。
 77年5月18日衆院内閣委員会で某党N議員が、全日空O氏に会ったという同党同僚のM議員より聞いた話として、小林中(註・開銀総裁で戦後財界トップ四天皇の一人)氏から長谷村(全日空役員で佐藤栄作元総理の元秘書)氏を通じて持ち込まれたM資金融資話によると本件資金は日銀にあり、9~10名の理事の管理を受け、資金規模は 3000億円、金利は 4.5%、期間15年(以下略)など、具体的内容を挙げ、その事実関係の調査を大蔵省、法務省に請求したものだ。だが、一斉に報道された翌日のマスコミに出た関係者の反応は、全面且つ完全な否定だった。

 なおこれとは別に、その後かつて国政の頂点にあった人物と別の党の、ある議員の対話があった際の記録によると、それには本件所在の有無について「総理としては在るとも無いとも言えない」旨の微妙なニュアンスで応えたとの箇所があり、以後の訂正も否定もされていないという事実はある。
 M資金を全国レベルにした詐欺事件は被害届けのないものや、自殺した個人を含め、マスコミに登場したケースを列記すれば次の通り。

大日本インキ、全日空、東急津上、大木建設、特種製紙、日本農産工業、日軽金、京阪電鉄、日本鋼管、丸善石油、日産自動車、飛騨高山開発、俳優田宮二郎等。詐欺師の手口、舞台装置等は別の機会に譲り一切省略する。



最高司令官を周る最側近グループの存在とマーカットの位置付け
M資金を簡単に定義した七年前のものでは

「第二次世界大戦後の混乱期に在日米軍の日本軍隠匿財産摘発により集積された、と言われる秘密資金。総額 1000億円を超えるとも言われているが、実態は不明。Mは GHQ経済科学局長マーカットの頭文字から」

とされている。
 だが事実はかかる単純ではない。名称だけでも G2の情報工作関係費やキーナン検事総長の機密費なども別名目とされているし、本件資金形成の原資となった物件のダイヤモンド一つとってみても、外国外地からの収奪のみでなく、宮内庁保管分や軍需品として日本国民が供出や献納した分のほか、本土決戦用の分などもあり、映画(モーションピクチャー・エクスチェンジ・アソシエーション管理分)やガリオア・イロア援助物資の蓄積円などもあって一括表記と言えないのである。

 かかる内容に触れる余裕がないので一切省略し、ここでは広知のM資金とした。前記定義の如く、GHQ時代の ESS(エコノミック&サイエンティフィック・セクション=経済科学局)の二代目局長はウィリアム・F・マーカットであり、そのイニシャルが資金名とされている。
 M資金形成時の原資財産の一部とされた日銀地下のダイヤを装甲車と武装兵を動員し、日曜日の日銀を総裁以下首脳者を列席させて急襲、翌月曜日に徹底したダイヤ捜索を断行し、全量を持ち去ったレイモンド・C・クレーマー大佐が初代局長だった。

 マーカットは二代目である。彼はマッカーサー最高司令官(以下マック)の最側近、別名バターンボーイの中心の一人で、その核心は四人組と呼ばれていた。参謀長 P・J ミューラー、マーカット・ホイットニー、ウイロビー各小将がそれだ。
 マーカット(以下 彼)がマックの強い信頼を受けていたことは多くの事例で証明されている。
 GHQが苦手とした対日理事会の議長を米国を代表して勤めたのも彼であり、当時、大事件化しつつあった昭電事件が、ESSに対する日本側のワイロ攻勢の摘発にあったのを制し得たのも、彼ならばこそとの評価もそれである。
 戦時中高射兵団長としてマックに仕えた彼の前歴は、自動車関係日刊紙記者だが、人物評価は高く、ポストの選任はマック自身と言われている。
 日本流で言えば、大蔵、外務、通産、運輸、郵政、厚生、労働、経済企画、科学技術、日銀総裁等を一身で引き受けるような立場であり、米国流では米政府の連邦予算局長、連邦準備制度理事会議長(FRB全世界の通貨行政最大の影響力機関)、財務・商務・労働・USTR代表の兼任と言えよう。

 日本経済の命運を大きく支配する立場の彼こそ、つまりM資金が誕生し育成される場合、それを構成する源泉たる資産や資源の総てを、それをマネー化する手続きを含む全過程及びその管理は、まさに彼の管掌下に他ならない。

 原資、生産、流通、販売、集金、管理、運営の総てが彼の掌握下なのである。この形態は二つになる。
 一方は法に基づく(GHQの場合は局設置令)分野で、他方こそ表に出ない分野である。前者の管理運営は、堂々且つ徹底して行い詳細な公文書も当然作成されたものの、後者はどうだったのか?そこにこそ大きな謎がある。何故なら日本側の存在と介入が、不可避かつ不可欠な分野・対象だからであり、しかもその権利移行で日本側による管理、運営が不可避とされるとき、その処理、対応こそ、国際的規模による非公式つまり闇の部分に他ならないからである。

 これは一方だけでなく、日米両者共に、関係者は共通の認識と信頼を不可欠としている。そうでなければ通常なら撃沈されないはずの病院船阿波丸を攻撃沈没させた米軍と、撃沈された日本側が、双方とも全く沈黙を守り通さねばならなかった国際法破りの行為と責任の原因点を、双方共に認知していた例を開示すると同じ痛みが発生するからに他ならない。

 一方は傷病兵どころか財宝を満載し、一方はそれを知ればこそ撃沈したものの、何れも赤十字の標識を犯した違法行為を国際的に表沙汰にしたくない思惑では一致していた事例を想起させるものとの指摘がある。
  現に公的面では、46年5月以降 GHQ(ESS)では日本軍が強奪したと判断したダイヤから英国、オランダ、フランス、中国、フィリピンの政府に合計 12万7,048カラットを連合国資産として正規の手続きをもって返還しているからである。
 一方で日銀ダイヤの管理官だったエドワード・J・マレー大佐がダイヤ持ち出しの件で処罰され十年の刑を宣告されたのも違法行為への厳正な取組がわかろうというものである。


日本の財政、金融、産業、貿易の総てを支配したESSの権力役割

 公的であるにせよ密室私的であるにせよ、強大且つ拡範な権力、権限を与えられた ESSの実体を知らなくては本件を理解し得ない。
 彼こそ生みの父であり、ESSこそ生みの母に他ならないからである。だが限られた中で、その全容の分析と開示は殆ど不可能なので他の機会にそれを譲り、ここでは若干の事例にとどめた。 そもそも ESSは GHQSCAP(最高司令官)に対し、財政 産業、経済、科学政策の助言機関として 45年10月、13セクションで発足したが、最盛期には局長局次長以下次のような機関で運営されていた。
 日本の全産業、金融、財政、労働等がカバーされていることがわかろう。即ち、

1. 投資審査委員会(三機関略)
2. 生産担当官(工業、設備燃料、科学技術三課)
3. 財政担当官(公共財政、内国歳入、銀行業務・外国為替 三課)管理官
4. 労働担当官(一課)
5. 貿易担当官(外国貿易・通商、観光二課)
6. 経済計画担当官(計画統計、価格配給公正取引三課)

の組織がそれであり、最終時には 日本側と入れ替わり引き続き、又は変更する準備は事前に完了していた。
 即ち、局長、次長の下、特別補佐、科学・特別企画を両翼に、局長、次長直轄下に主幹(管理、運営二課)、主幹下に貿易担当官(外国貿易・通商一課)、生産施設担当官(工業一課)、財政担当官(財政課)管理室、労務担当官(労働一課)、経済計画担当官(計画、統計一課)が、表も裏も総てを取り仕切る組織であり、機関だったのである。
 つまりどの分野であれ、日本側のトップとこのセクションのトップは関係があったから、銀行金融外為貿易は勿論、重要なコンタクトや諒解が成立していたとみられるわけだ。
  この日本占領中 ESSによる日本の命運にかかわる重要事項のうち若干を挙げてみよう。

1. 労働問題の政策と計画
2. 日本で活動する諸外国企業の営業許認可
3. 占領日本輸出入回転基金(オキュパイド ジャパン・エキスポートインポート・リボルビング・ファンド)の保全運営運用及び管理並びに政策と計画
4. 私企業が行う生活上、営業上の便宜供与、輸出入免許確認、契約承認等の外国貿易に関する監督責任
5. 合衆国第80連邦議会成立の一般法律 820号で設置の回転資金の運用及び管理。

がそれである。
 日本経済の最終形態に関する勧告はもちろん、重大影響ある措置の一切が ESS承認を必要とする旨、定められていた事実がここにある。

 更に48年7月外国貿易会計業務が一般会計局(ジェネラル・アカウンテイング・セクション)から ESS所管に移ったので新たに基金管理課が設置された。
 同課は彼の管理する総ての基金(つまり簿外分、例えばMを含む)について会計責任を負ったが外国貿易拡大によって貿易基金と外為取引が更に増大したため外国為替基金課(フォーリン・エクスチェンジ・ファンド・ディビィジョン)と改称後、更に銀行業務・外為課(バンキング&フォーリンエクスチェンジ・ディビィジョン)に拡大、財政制度や銀行業務が追加された。
 しかも外為基金の操作政策提言任務に加え基金保全、つまり回転資金及び ESS管理にかかる総ての他基金の運営管理の直接機関として局長直属の管理官(コントローラー)が 49年8月22日特別設置された。

 この他日本の中央政府は勿論、地方自治体の総ての歳入監視機関も設置される等、まさに日本経済および経済界の命運は ESS=マーカットの支配下に置かれたわけである。
 公然たる分野ですら絶対の権力を掌握している限り非公然の部分にその影響力が作用することは言うまでもない。
 M資金があるとすればその誕生、育成、保管,運営もまた必然との見方も生まれよう。いずれ機会があれば、その全容を考察したい。

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